Sei KIsaragiオフィシャルブログ


人間の心にある自我、エス、超自我の関係性の続き

2013.07.04 Thursday[フロイトcomments (0)

フロイトは自我とエスの関係について、エスと自我の関係は、暴れ馬と、それをコントロールする騎手の関係に似ている。
騎手は自力で馬をコントロールするが、自我は隠れた力でエスをコントロールする。
騎手は馬から落ちたくなければ、馬の行こうとする方向に進むしかない。同様に自我も、エスの意思を、まるでそれが自分の意思であるかのように実行に移すことがある。
心を動かすエネルギーは全ての中から湧いてくる。しかしエスは無秩序で混沌としており、社会のルールなどを無視し、ひたすら快感原則に従う。

そのため自我がエスをコントロールしないと、人間は社会生活を送ることができない。
エスの力が強いので、自我が完全にコントロールできるとは限らない。
時にはエスが行く方向に引っ張られることもある。
ある意味、自我はエスの一部である。
例えば自我とエスは大きさでは同じではなくエスの中に自我がある。
エスが大きくなることもあれば自我が大きくなることもある。
あるいは小さくなることもある。
自我とエスは本質的には変わらない。
こんな自分は自分ではないとか、こういう性格も自分ではないとか自分が認める範囲を狭くしていくということは、自我をエスの中に放りこんでいくことである。
結果、自我が小さくなると、自我それ自体の統一性は保たれるが、不安定になる。
逆に、あれも自分、これも自分とうように自我の幅を大きくしていくことは、エスから多く取り込むことになる。
自我が大きくなるとそれだけ安定するが、自我内部の統一性が失われ、自己矛盾をきたすことになる。
自我は安定を図るために自我自身を変化させることがある。
何を自我に取組み、何をエスの中に放りこむか、それを決めるのは自我である。
しかし選択を決めるのは無意識に行われる。

自我が増えるとどうなるか?
もう一つ自我ができると二重人格になる。またもう一つできると三重人格になんる。
と自我が増える度に人格が増える。ビリー、ミリガンは10以上の人格があったと記憶にそう古くない。

自我には自己防衛機能がある。
また次に述べます。

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