Sei KIsaragiオフィシャルブログ


戯言2

2014.09.05 Friday[戯言-

役割距離があると提唱したのが、アメリカのアービング.ゴッフマンだが、人間社会には各々が役割距離をとっているという。

人に気を遣いながら、互いの自己を守るための行動、相好行為儀礼。
人々が互いに気を遣いながら日常生活を送ることから生まれる振る舞いを儀礼的な上演(ドラマトゥルギ―)と定義した。

互いの自己は侵害してはならないという前提の下、
互いの自己を守るために人々は相好行為儀礼と呼ばれる行動をとるとする。
例をとして、他者が期待する役割と少しずらした形で行動儀礼的無関心、
自分の感情を社会的なルールに適合するように操作する印象操作、
期待される役割を受け入れつつも、
その役割を軽減的に茶化して余裕を示そうとする役割距離など。

また、社会多数派が持つ普通の概念から外れるものに対するマイナス、
イメージの固定化に着目し、イメージの固定化に着目し障害、性格的特徴、
あるいは文化的特徴に対する負の価値づけをスティグマと呼ぶ。

私たちが普段、何気なく生活している中で、
上記の態度の人がどれだけ連想されたでしょう。
では本質的な部分はどこにあるのか、または本心はどこにあるのか、
センは人間の潜在的能力を如何に引き出すことができるかを提唱している。
どうするか、より何ができるかを問題視している。
ゴッフマンは生まれはカナダであり、
多民族国家であるアメリカでいろんな慣習のようなものを感じたに違いない。
いろんな社会での自分の立ち位置を決め、こうありたいとか少なからずも願望があり、
そこに自分を反映していくのだろうか。

本当は相手の立場を考え、自分を客観視してなければならないはずだ。
押し付け程、厄介なものはない。自分が人より優れているとかいかぶりしている人程扱い難いものもない。優劣をつけたいのは多少はわかるが、自分の置かれる立場の破棄違いも実に不快だ。
コミュニケーション不足や先入観だけで人を判断するのも危険。

上記に述べた互いの自己を守るための行動とはお互いの理解に基づくものではないでしょうか。
先に進むことで、お互いが成長しお互いのメリットが生じる。
地位や名誉は社会が認めるていくことであるのは言うまでもない。
自称偉いさんほど居心地が悪い存在はないですね。
続く。

戯言

2014.08.21 Thursday[戯言-

人間は全て、経験で生きている。
自分の経験値で基本生きているため、何か違う経験をすると慣れないことに違う反応を示す。
どんなに長生きしようと新しいことに巡り合わせると、また新たな経験ということになる。
考えれば、人類の400万年前から300万年前のアウストラロピテクスから始まる。
しいては、130億年前に宇宙誕生の歴史を見れば、
ほんのわずかの時を過ごしているのが現在の人間である。
気が遠くなる程の年月だ。
どんなにクリエイトしたとしても全然足らないぐらいのクリエイト力も永遠に続くだろう。
方程式はあるところまでしかわからず、その先の方程式はまだ存在していく。
量子力学では、どうも数字が理に適わない。
宇宙はインフレーションしている最中、人間の生活は豊かになっているかと言えば、
肯定し難いとも言える。
豊かにならなければならないはずが、宇宙の原則からはそうとは言えない。
なぜ?という疑問を持ち続けることで、文明は発達する。
言い換えれば、疑問を持たないと成長しない。
ニーチェやサルトルも相当な思考をした上で、偉大な哲学者になった。
もはや病的なぐらいの思考能力だ。
オシャレな生き方とは基本的にないと考えます。
そう見かけだけに拘ると、中身が蔑ろになるだけだから。
思考することは、記憶にとどまらず、いろんな意味で活性化していく。
妄想とは一歩現実化する第一歩目であろう。
妄想家はファンタジーだけで終わるのは惜しい。
前に走る空想や妄想は全然ありではなかろうか。
過去はただの教訓しかない。未来形で思考することが必要なのだ。
意味のないコンフリクトは時間の無駄でしかない。
より発展的に物事を思考できることで、柔軟性に前向きになれる。
常に未来へ自然と走る、この場合時が過ぎることだが、
限られた時間があるとすれば燃焼すりより他ない。
では話は少し変わり、アメリカの精神科医のブライアン.L.ワイス博士の著書を引用します。
博士は瞑想や退行から得られる数多くの利点の一つに、価値観の変化あると言う。
自分にとって真に大切なことを大切ではないことを見分ける時の視点の変化だと。
このような価値観の変化は、
不滅であること、
つまり、肉体が亡びても自分は死なないということを知った時に、起こるものです。
過去世退行を体験すると、私たちは自分が前にも生きていたこと、
いつか再びここに生まれてくること、そして愛する人々と再会することがわかるようになるという。
さらに、家族や友人と、身体的な触れ合いは失っても、向う側の世界か、次の人生で再び出会えるとわかると、苦しみや悲しみの本質が変化する。
私たちが実は魂の存在であることに気づくと、根本的な変化が促されて、愛、より良い人間関係、思いやりなどを大切にするようになります。
そして、他の全ての存在とのつながりを、もっとはっきりと感じ始めます。
このような新しい価値観が幸せの基礎になるのです。
何が大切か、その順序が変化し、以前は怒りや苛立ちを感じた相手を、
今や違う光の中で違った視点から見ることができるようになります。
もっと我慢強くなり、寛大になります。心の安らぎと静けさが増します。
人生の問題は学びのチャンスであり、
成長の旅の途上に置かれた踏み台であると、
思えるようになります。
結局、私たちは故郷への道を探求している永遠の魂なのです。
そして常に愛されていて、一人きりになることはありえません。
この次元では、何ものも私たちを傷つけることはできないのです。
ワイス博士は語る、私はずっとそんなことはあるはずがないと思っていましたが、
今は過去世を信じています。
私の信念は何千という患者の皆さんと共有する、21年に渡る経験に基づいています。
これまで多くの不思議な信じ難いような現象を目撃しましたが、
退行療法の効果を得るためには、輪廻転生を信じる必要があるとは、私は思っていません。
起こったことをたとえ、比喩や象徴だと思い込んでいても、大切な情報はその人の意識に伝えられるのです。そして、得られた知識や気づきは、身体や感情や心に大きな変化をもたらします。恐怖症や怖れが消え、霊的次元に目覚めることによって価値観が変化し、愛がより自由に豊かに流れ出します。そして心の平和が実現して、大きな喜びと幸福をもたらします。
大切なことは、こわがらないこと、
そして、偏見を捨てて心を大きく開いていることなのです。
と述べています。
退行療法はさておき、実に感慨深い。真剣に患者さんと向き合った結晶とも言える、
経験値であろう。完全なる科学として証明されなくとも、実体験として、コロンビア大学を卒業し、エール大学の医学部で医学の学位を取得、マウント.サイナイ医療センターの精神科部長を務めた。最先端の医療の医師としての発言であるのがまた信憑性に富む。
冒頭に述べた思考というところにリンクしていくとも考察できる。
続く