Sei KIsaragiオフィシャルブログ


権力構造と自分や私たち

2013.08.17 Saturday[メンタルcomments (0)

人間のエゴは果てしないものかもしれない。各々は意思決定する
中でその答えも無意識にこたえることも多々ある。経験値だけで生きても発展はない。マニュアルだけなら誰でもできる。良いものは当然残され、継承されるが、しかし、横並びならただの平均値しかない。

競争原理が人間そのものを成長させるかもしれないが、どうしても自己防衛機制が働き、安全パイを本能的にとってしまう。
人の気持ちになれなくてはただのエゴイズム。自分の評価は人が評価する。なんの評価もないのに自己評価が高いのは単なるナルシスト。主観性と客観性の把握のズレほど痛いものはない。

生活習慣の中でも自分のやることなすことが間違いないと自負する人もまた発展もない。ちょっと待てよ!と言い聞かせないと発展性も見いだせない。物事には懐疑的ではあるが、クリティカルマインドをどこかで持つのもビジネスや日常においても必要かと。

続く。


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今は亡き偉大なイギリスのマーガレット.サッチャー元首相

2013.07.23 Tuesday[メンタルcomments (0)

は、父親から影響を受け、(人間は考えること。そうすれば行動に移す。次に行動から習慣になる。また次に行動からその人の人格が形成される。人格が形成するとまた次の事、夢や希望が見えてくる。
まず考えることが大切なのだ)と父からの言葉を受け政治にも影響を与えたのである。
またサッチャーは昔の政治家は何かをやろうとしていた。
今は言葉だけで何もしようとしない。と。
日本の教育は今、記憶ばかりを重視する。そのような今後、教育は排他的になる可能性があるだろう。
前回にも同じようなことを述べたが、やはり考えること!は人間そのものを成長させるのだとつくづく実感もする。


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シンガポールは観光地としても日本人はよく訪れる国である

2013.07.08 Monday[メンタルcomments (0)

そのシンガポールは世界の経済大国であり今も不況の中経済成長を続けている
アジアの虎とも呼ばれる国になり欧米からも高い評価を得ている。
ではなぜこのようなすごい国に成長したのか?
1960年代は資源も何もない、資源は人だけであった。
1959年に首相に就任したリー.クワンユーがその国のベースを作り、今も継承されている。
資源は人だけの中、政策には一貫性があり妥協はしなかった。
はじめに考えて実行したのが、まず国民に住宅を無料で供給した。その変わり職務に専念し教育や労働を改革し、国民がその忠誠を誓う。
云わばgive&take政策と呼んだ。
それが功を奏し見る見る経済成長をし、政治家には汚職は禁物だ。と言い彼は一度もなく、生活においても質素な生活を貫き、またスキャンダルも一度もなく、近年政界を去った。
エピソードにはタイに行った時、女性を彼にあてがおうとした。それは御持て成しとして。
しかし彼は女性など要らない!と言い自分の妻だけに愛情を注ぎ、その一貫性としてもプライベートもそうだった。
首相時代、カリスマ性も併せ持ち(元々、世の中平等などない!人それぞれの背景が異なるし、もし平等にすれば例えば数学や理科が嫌いな人はある程度は教育で補えるだろう。しかし全部はそうはできない。そしてできない人を助けるとしよう。そうすれば助けた人がまた犠牲になる)と言う。

優しい面とドラスティックなところを併せ持つ。
現在はよく寝ることと食事は腹八分と運動と考えることをしていると語る。
そして彼は影響を受けたのは第二次世界大戦中の日本人から、権力というものを学び、政策に活用した。なぜならば統一性や人を動かせ、秩序を保てるとも言ったのある。

これだけの国に育てたのは賞賛するのは当然。
世界で最も影響を与えた人物としてベスト100人の中にも選ばれた。
煩悩を捨てここまで国の発展に努力する政治家。ただ尊敬するばかりである。

自我の防衛機制

2013.07.06 Saturday[メンタルcomments (0)

人間は動物である。理性で社会生活を営む。
動物である故に本能を持つ。
動物自体は本能で生きている。動物そのものは自我を持たない。
しかし人間は本能が壊れて正常に機能しないため生きていくために自我を持つようになった。自我は本能=自然=に根ざしていない。自我はその存在の生物的根拠を持たない。

自我は外界、超自我、エスの存在に脅威を得ている。
社会では自分の思うどうりになるわけがない。
自我は社会に適応するために社会(外界)に適応するための要求にこたえなければならない。

自我は超自我の命令に従わなければならない。
また一方では自我は、快感原則に従ってひたすら欲動を満たそうとするエスの力を必至でコントロールしなければならない。
そうしなくては反社会的な行動に走る危険性がある。
自我は不安定で崩れやすく、またその存在を脅かされているため、自我の防衛策ができ、自我の防衛機制、自我の防衛メカニズムができた。

防衛機制では抑圧。
自分では認めたくない。そんなの嫌だと思い無意識のうちにエスの中に放りこんでしまうことである。
抑圧すると、症状や夢という形で必ず戻ってこようとする。
次に否認というメカニズムは、現実を直視しない。認めない。

自分が事実を正しく知覚したとしても、それを認めようとはしない。知らないのではなく、知っているにも関わらず認めないのである。
例えばスポーツで選手の成績が抜群によく、自分は成績が悪い場合自分は勝てる!絶対に勝てると思い、勝てると思いこみ相手の実力認めない。
相手の実力を認めれば怖くて勝つことができないと思うからである。

続いて、分離というメカニズムは、ある出来事と自分が自分の感情と切り離してしまうことである。
自分が体験した辛いことを話すときに、誰でも思いだしたくないという感情がるが、切り離すとまるで他人事のように冷静に話せるようになる。
自分のこと感情をともなわず淡々と語る人はこのメカニズムが働いている。

まだまだ続きます。


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私の取り扱う品物はココロです!

2012.08.22 Wednesday[メンタルcomments (0)

オーホッホッホッホッホッホッー
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そして新たな出発

2010.02.17 Wednesday[メンタルcomments (0)

何かを作る・何かを生み出すって本当にパワーが要るものです。
何事に対しても何かを完成させるとか、
今までになかったことを形にするのには、相当なエネルギーが必要なんだなって思う。
大きなハードルがあるならば、そのハードルを越えるには
どのようにしたらクリアできるのか!?しかしクリアした時は、格別な感動と
達成感があり更に前向きな気持ちになるんです。
自分に課されたミッションは自分にあり、自分を成長させる原動力ともなる。
まぁ、なんと言ってもポジティブな姿勢は常に変わらないのは自分でも
不思議に思うよ。
Try and error.そんなの承知だよ!!!

new year

2010.01.05 Tuesday[メンタル-

まずは新年明けましておめでとうございます。
さて、社会は昨年に引き続きあのリーマンショックを
まだまだひきづった状況から打開にはまだ時間はかかりそうです。
しかし明るい日差しもちらほら見えるのも事実。
今は自分が自分らしく生きることが最優先ではないのかな!?
と思うのです。
流されず自分を貫き通すこと!(良い意味でね)仕事だって、なんだって。
でも人には迷惑かけてはダメなんですよ!
私自身の今年の目標は欧米社会で、カウンセリングが社会的に認知されているように少しでも、日本でカウンセリングをもっと身近に浸透させていきたいと、認知されるよう一歩でも前進し形として結果を出したいのです。
やることは山ほどありますが、それは自分の宿命と考え頑張っていく次第であります。
気合だよ!気合!!・・・。

プロローグ†

2009.11.24 Tuesday[メンタルcomments (0)

日本は資本主義社会です。
その資本主義社会の中で我々は幸せを見つけ様々な生活を営んでいるのです。
つまり資本主義とは、どこまでなんでしょうか?!
色んな学者などが説をあげていますが、私は人とお金を天秤にした場合、お金が上にいっては
ならなく、人が上にならないとと思うのです。
しかしながら、お金がなければ生活は出来ません。
良い生活をしたければ、それなりに努力しなければなりません。
自分は、これだけやった!!でも成果は上げられなかった!!
いや違うよ!それはあなたの努力が足りなかったから・・
世の中、自分で自分を評価する人が案外多いものです。
例えば、恋愛に関しても自分が自分が!!ではなくて
どれだけ相手の事を想ってあげて優しさで接して、初めて想いが返ってくるのではないでしょうか?
これだけ想っているのにと言っても相手に伝わらなくては、なりません。
それも努力なんですよね。
では、また

プロローグ

2009.11.17 Tuesday[メンタルcomments (0)

まず、人の悩みって何て様々なんだろう!?
って人類が誕生してから人の生活、文化が発達し歴史もそれぞれ
人の価値観の違いから色んな良きにしも悪きにしも刻み込まれてきて
今、現在へと至ってきましたね。
人間の持つ観望や煩悩とは、どこまで果てしなく
そして複雑なんでしょう!
人は悩んで成長する生き物だと思のです。
社会とは、人と人で成り立っているもので、やはり人との関わりを避ける事は出来ないのです。
私は人間って生まれてから、ある試練を個々にテーマみたいなものを持たされているのではないかと考えるのです。
例えば、今クリアにしなければならない問題を避けたとしたら、それは自分にとって良いものかどうか?
問題に直視することがその人を成長させるのではないでしょうか?
とりあえず、初めはこの辺で失礼します